今回はオグリキャップの話です。
私はオグリキャップの引退レースとなった有馬記念を、覚えていないんですよね。私より上の世代の方は当時の有馬記念の感動を、今でも鮮明に記憶している人が多いのでしょう。
一言で言えば、「羨ましいなぁ」です。
今回の投稿もペンネームぬままな様の投稿で、当時の雰囲気がよく伝わる内容。読み終えて当時を思い出す方が多いと思います。
では、どうぞ。
第4話.オグリキャップ編
武豊とオグリキャップと言えば、1990年の有馬記念を思い出す人も多いかと思いますが、それより先、同じ年の安田記念で初騎乗しG1を勝っているのです。
平成の3強と言われたオグリキャップでG1:2戦2勝、イナリワンでG1:2戦2勝、スーパークリークでは主戦を務め、G1 :3勝この3頭だけで都合G1:7勝を、空前の競馬ブームの中で上げているのです。
デビューまだ4年目、まさにスーパースターの登場でした。
安田記念は、大人の事情で南井からの乗り替わり。
南井にはシンウィンドという先約があったという理由でしたが、人気の部分とアーリントン遠征計画(ケガで中止となりました)が武豊を鞍上に迎えたのではないかという噂でした。
今回ばかりは、悔しい思いをしている南井を応援しようと、ビール片手にテレビ観戦。綺麗なスタートで安田記念は始まりました。
道中シンウィンドの南井は、オグリキャップの右斜め前の絶好のポジションをとります。「そうだミナーイッ~オグリの前に出て進路をふさげ!内に閉じ込めろ!」と絶叫する私。
「何やってんだ!早く内に切り込め~~」「ミナイッ~~お前は悔しくないのか!早く内に閉じ込めろ!」と絶叫する私を諭すように、南井はフェアプレイで真向勝負します。
誰にも邪魔されないオグリの前には、ぽっかり空いたビクトリーロードが・・・そのままほとんど追うことなくゴーール! 1分32秒4のレコードタイム付き。
あぁー南井・・・ 勝負の世界なので少しくらい姑息な手、いやいや戦略をもって戦ってもいいところなのに南井はフェアプレイで勝負したのでした。
それにしてもオグリは強かった。
きっと南井は、降ろされた悔しさより愛馬の邪魔をしたくなかったのでしょう。そんなこととはつゆ知らず、絶叫した自分が恥ずかしくなりました。
そして武豊はまたスーパークリークのもとへ帰っていくのでした。
イナリワン同様、武豊にふられた傷心のオグリキャップはその後、宝塚記念2着、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ11着と惨敗します。
世間では、もうオグリは終わったという意見が大半でした。
ジャパンカップ後は、このレースを最後に引退させろとの脅迫状が日本中央競馬会に届く事態まで起こりました。しかし陣営は、有馬記念を引退レースに選び、そして鞍上には、スーパークリークが引退し手の空いた武豊を指名したのです。
武豊が戻りオグリキャップは嬉しかったのでしょう。
有馬記念がスタートし、向こう正面にさしかかるころには、風のように疾走していました。この姿を見た私は、「オグリは勝つ」と確信しました。
手にはオグリキャップ単勝1万円。
今日はオグリの引退レース、勝っても負けてもオグリだ!と決めていました。
ファン投票1位、なのに単勝4番人気。「心とお金は別のもの」というのが世間のようです。
私の心とお金は一緒です。
直線に入り、早くもオグリは先頭に躍り出ます。オグリ~!オグリ~!と絶叫する私、テレビからはライアン!ライアン!の声が・・・そしてオグリキャップはこのまま先頭でゴーール。
あぁ~オ・グ・リ~~私はその後、感動のあまり号泣するのでした。
武豊は教えてくれます。
競馬はお金だけじゃない。
負けると思っても、自分の信念で買う馬券があることを私は、まさかオグリキャップが勝つとは思っていませんでした。
しかしこれまでの軌跡を知る私にとって、最後にオグリキャップの馬券を買わない訳にはいかなかったのです。
そして武豊とオグリキャップは、私に、いやいや応援してくれた人たち全員に見事勝利で応えてくれたのでした。