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重賞300勝直前企画~ユタカ重賞プレイバックその壱~【ゲスト投稿】

291945879_c04e1c7cbc_bphoto credit: 2002 Albuquerque International Balloon Fiesta — DSCN0255 viaphotopin (license)

今回のゲスト投稿は、記念すべき第一回のゲスト投稿をしてくださった、スーパークリック様の投稿です。第一回の投稿はこちら何故ファンは「武豊」が好きなのか【ゲスト投稿】

ゲスト投稿って勇気がいることだと思うんです。
この企画の口火を切っていただいて感謝しております。

今回のスーパークリック様の記事は、武豊騎手が光GENJIばりの「スルスル、スイスイ」とした騎乗ぶりを披露した、あのレースについて書かれています。

説明するのが大変難しいレースで、よくぞチャレンジしてくださったなぁと。私もチャレンジしようかと試みた事があるのですが、豆腐のようにもろいメンタルで、壊れそうなものばかり集めてしまう、ガラスの30代(私)には無理でした。

なつかしい、あのレースをプレイバック!!

 

ローカルで魅せた!奇跡のユタカマジック

武豊騎手の重賞300勝が見えてきました。

そこで、これまでの重賞勝ちの中から、GIや伝説の阪神大賞典や毎日王冠のようなメディアで多く取り上げられるものではなく、これらに隠れた名騎乗をピックアップして振り返りたいと思います。

第1回は、管理人様も度々取り上げられている「第9回 中日スポーツ賞4歳ステークス」です。

 

競馬絶頂期そしてユタカも

まず、レース自体の話へ移る前に当時の競馬事情と豊騎手を振り返ります。

今から丁度20年前、当時はまだまだ競馬人気が高かった時代。また、インターネットが今ほど普及していなかった時代。

電話投票があったものの、競馬ファンは競馬場へ足を運んだものでした。競馬場の入場人員もピークに近く、競馬ブームがまだまだ健在な時代でした。

一方、豊騎手はこの1ヶ月前に結婚式をあげたばかりでした。

中日スポーツ賞4歳ステークスは、当時残念ダービー的な位置づけで7月の初夏に行われていたのですが、豊騎手はこの春のGIでハートレイクの安田記念、ダンスパートナーのオークスを制しており、オークス入線後には量子婦人に捧げるものか、いつになくガッツポーズを繰り返しました。

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つまり、当時はまさに公私ともにノリにノっている状況でした。

 

人馬とも充実の夏へ

では、レースの話に入っていきましょう。

レース名は当時の年齢表記です。
我々中年ファンには未だにこの表記がしっくり来るもので、「ダービーは4歳」が体に染み付いています。最近の高齢馬の活躍の記事を見ると「7歳って、昔でいうところの8歳かぁ、凄いわ」といちいち計算し直すものです。

 

そして、前述の通りこのレースは残念ダービーの色が濃いのですが、この世代はダービー馬がタヤスツヨシ、オークス馬もダンスパートナーと、いよいよ旋風を起こし始めたサンデーサイレンス初年度産駒と同世代でした。

コースは中京の芝1800m。
当時の中京は改修前で、左回りで直線の短い小回り平坦コース。基本的に1200m以外は外枠不利で、内をピッタリ回るのが理想的でした。これがこのレースでもポイントのひとつとなります。

 

このレースで豊騎手が騎乗したのは「イブキラジョウモン」。
父はアウザールという、前述のサンデーサイレンスとは真逆のかなりマイナーな種牡馬でした。

しかしながら、豊騎手で若草ステークスを制してダービーに出走。ダービーでは四位騎手で9着に終わったものの、ここは豊騎手に戻っての出走となりました。

1番人気はシンボリ-岡部騎手コンビで内枠の2枠4番に入った「カチボシ」、イブキラジョウモンは大外8枠16番に入ったためか、実力上位ながら2番人気に甘んじていました。

そして差のない3番人気には2枠3番に入った同じイブキの「イブキインターハイ」が支持され、おおよそこの3頭の争いかというのが戦前の評価でした。

尚、このレースにはこの後度々重賞で3着内に入るエイティグローやGI2着のメイショウユウシも出走しており、まずまずのレースレベルといえると思います。

 

ユタカ史上屈指の熱い追い込み

では、レースを振り返りましょう。

スタートでカチボシはやや立ち遅れて後方からの競馬となります。一方イブキ2頭は好スタートを切るも、先行争いが激しいため、1コーナーでの位置取りはほぼカチボシと同じあたりの後方追走となります。

イブキラジョウモンは若草ステークスでは先行して勝利していたので、外枠の不利が出たかなぁというスタートとなりました。

2コーナーから向正面にかけても、外枠のイブキラジョウモンは終始外を回ることになります。一方ライバルのカチボシ、イブキインターハイはその内を通っています。

 

そして後方3番手で迎えた勝負の3~4コーナー。
先に仕掛けたのはカチボシ。
内から外へと切り替えてスルスルと上がっていきます。
イブキニュースターもその外からこれについていきます。

イブキラジョウモンは豊騎手得意のワンテンポ遅らせての仕掛け。
さらに外からと思いきや。。。

なんと、空いたカチボシの内、馬群の真ん中へ!!当時の中京は前述のとおりの直線が短い小回りコース。4コーナーの遠心力で他馬が外へ膨らみ、馬群が横へバラけるのを豊騎手は見逃していなかったのです!!

おそらく豊騎手は「ここまで外を通らせれていたので、その分少しでもスタミナを残してやろう」そして「広がった馬群のさらに外を回ってはタイムロスも大きくなる」と考えたに違いありません。

ワンテンポ遅らせての仕掛けとカチボシの内を突くという瞬時の判断、これでスタミナが十分に温存された直線、イブキラジョウモンは後方一気で馬群の中央を切り裂いて来るのです。しかも、バラけた馬群の狭いスペース。

豊騎手は、さらに内へ内へと斜めに切れ込みながら、残り100では内ラチにいたエイティーグローに馬体を合わせるまで内に入っていました。

そしてこれを1馬身ほど突き抜けて1着でのゴール!
外枠の不利があったはずにも関わらず、これを微塵も感じさせない末脚で、10頭以上を差し切っての勝利。最後まで脚色が衰えることはありませんでした。

外を回ったカチボシが3着、イブキインターハイは8着という結果からも、内を突いた豊騎手の好判断が光るレースとなりました。

まとめますと、このレースの見所は、
・直線の短い小回り大外枠という不利
・ワンテンポ仕掛けを遅らせる豊騎手独特のタイミング
・豊騎手には珍しい、内へ切れ込みながらの直線
(・結婚直後で豊騎手もノリにノっていた)
であり、これらが相まった、コアな豊ファンには非常に印象深いレースとなっています。

また、豊騎手は結婚式後の初重賞制覇となりました。

この後、イブキラジョウモンは屈腱炎の怪我等で大きなレースを勝つことはなく、このレースもあまりメディア等では取り上げられることがなくなりましたが、管理人様に度々取り上げて頂き、自分も共感するところがありましたので、当時を振り返ってみました。

イブキラジョウモンも、地方転厩後複雑骨折を発生しながらも、高知の牧場に引き取られて幸せな余生を過ごしているとの事。
豊ファンとしても嬉しい限りです。

このような隠れた名レースは数多くありますので、少しずつでも若いファンの皆様に伝えていければなぁと思っています。

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