今回のゲスト投稿はペンネーム”ジェニュイン2″様の投稿です。
ペンネームからお分かりかと思いますが、この方の好きな馬はジェニュインだそうです。
馬名の意味は”正真正銘”や”本物の”という意味で、ジェニュイン2様の文章は”本音”であったり”本当”の気持ちが素直に書かれている文章です。
武豊が好きになったキッカケについても書かれていて共感できる人が多いと思う。
読み終えると、まるで鏡のように自分の心が映し出された感覚になり、なんだオレか!と、共感してしまうんだな~。
では、どうぞ。
自分にとって武豊とは
photo credit: 2002 Albuquerque International Balloon Fiesta — DSCN0255 viaphotopin (license)
ジェニュイン2様の自己紹介から
まず私は競馬ファン暦22年ほどになります。
武豊(敬省略)でいうとナリタタイシン、ベガの年からですね。
さて私にとって武豊とは・・・。
考えました。
好きな騎手だったか?
けしてそうではなかったです。競馬を見始めた頃は岡部の方が好きだった。
では武豊の乗っていた馬が好きだったか?これもそうではなかった。特にエアグルーヴもスペシャルウィークも思い入れはなかった。
ではなぜ今、武豊のことが好きなのか?
特別好きではなかったけど、誰よりも意識していた騎手だったから。ミーハーだけど、競馬は穴狙い。
だから武豊が勝つレースは当たらない。武豊の本命馬につけいる隙はないだろうか?武豊に勝つならどの馬だろうか?ずっとそんな意識でいたような気がします。
しかし、根はミーハーな私です。
年に数回わが函館競馬場に武豊がくるとテンションあがります。
いつだったか忘れたけど、朝から武豊に逆らっていたら、1日5勝ぐらいされて馬券がひどい目にあったこともありました。
これもいつだったか忘れたけど、全盛期に久しぶりに土、日未勝利で終わったときの新聞記事も覚えている。
そして門別競馬場で私のファインモーションの写真にサインしてもらいました。大事にしまってあります。
武豊の技を何度も見てきたが、特に武豊の巧さを感じたレースが一つ。
1998年秋華賞のファレノプシス
1998年の秋華賞。私の◎エアデジャヴーを外から早めに動くことで内に閉じ込め、しかけを遅らせたレース。
結果はファレノプシスの完勝でしたが、あの3~4コーナーの手綱さばきは忘れません。武豊にやられた。まさにそんなレースだったと思います。
(よく考えるオジイチャン)
「ファレノプシスとエアデジャヴーの馬連1点だったワシは複雑な気持ちになったもんじゃ。ユタカあんまりエアデジャヴーイジメんとって~とみとった。結果1・3着(泣)」
武豊が好きになったキッカケ
私が武豊を本当に好きになったのは、勝ち鞍が伸びなくなってきたころからでしょうか。
天敵だったはずの武豊が勝てなくなった。有力馬から降ろされてしまった。
武豊はこんなはずじゃない。
天敵だったからこその思いでした。
前から好きだったけど、今は違う”何か”に変わった。
決め手となったのはウオッカ
ウオッカにとって唯一勝っていない東京古馬GⅠジャパンカップを勝つために武豊は毎日王冠、天皇賞と2400をこなせる乗り方をして負けてきた。
そしてジャパンカップを武豊で勝つはずだった。しかしウオッカの背にはルメール・・・。
その後は皆さんご存知のように落馬・・・勝ち鞍減少・・・そしてキズナとともに復活!
今私は武豊が一番好きな騎手だと自信をもって言えます。あと何年言い続けれるかわからないけど、私も武豊が足りない一人としてこれからも精一杯応援していきたいと思います。
まとめ(ここから管理人)
photo credit: Amazing via photopin (license)
競馬ファンである事がスタートだとして、武豊を好きになった過程は人それぞれだと思います。ですが、到達したところが同じだから凄く共感できるんだよなぁ~。
色々なファンが居る中で今回ゲスト投稿をして下さった”ジェニュイン2″様とファンになった経緯が似ている方も多いと思います。
文章を読み終えてから、もう一度なんで好きになったのか?改めて考えてみたくなったのって私だけです?
投稿いただいたジェニイン2様ありがとうございました。
【余談】
みなさん気を使ってくれているのか”足りない”この言葉が出てきますが、気を使わないでくださいな。なんだか申し訳なくなる(笑)ありがとうございます。