もう、おなじみでしょうか?今回もペンネームぬままな様の投稿。
「武豊が教えてくれた」シリーズです。
さっそく、どうぞ。
第3話.イナリワン編
公営・大井競馬場所属時代に東京王冠賞と東京大賞典に優勝し、鳴り物入りで中央競馬へ移籍後、武豊にG1 3勝目にして春の天皇賞をもたらしたイナリワン。
最大の目標をその春の天皇賞としたイナリワンは、中央初戦、すばるステークスを小島太騎乗で4着、続く2戦目阪神大賞典を5着と敗れてしまいます。
次走天皇賞を迎えるにあたり陣営は、前2走で見せた掛かり癖を是正するため、癖馬の騎乗に評判の高かった武豊を鞍上に迎えたのでした。
「イナリワン暴走!調教で武豊抑えきれず、全力疾走でターフ2周!」こんな記事がスポーツ紙にドーンと出ました。
大丈夫か?
長丁場だし・・・本当に大丈夫?・・・誰もが思っていることは、私も同じでした。
しかし大丈夫じゃなかったのは私自身でした。その当時の春天は、4月29日の天皇誕生日の祝日と決まっており、その日になんと祝日出勤を命じられたのです。
しかも終日会議だとか・・・馬券も買えなきゃ、レースも観れない。
ビデオなんて持ってない・・・どうしよう・・・意を決し、その日クライアントとの打合せがあるので、会議に出られません。と嘘を付いてしまったのです。
若手社員の大暴走、今なら考えられない行為で反省しています。
1989年4月29日春の天皇賞。
武豊を鞍上にしたイナリワンが、今までの掛かり癖が嘘のように綺麗に折り合い、最後の直線では後続に5馬身も突き放す圧勝劇を見せたのです。
しかも走破タイム3分18秒8というコースレコード付き。こうしてイナリワンは、移籍後の初勝利を武豊と共に春の天皇賞であげたのです。
WINSで観戦していた私の手には、金髪の美男子ゴールドシチーの馬券が・・・あーあ残念。
続く宝塚記念でも武豊を鞍上に、G12連勝としました。
しかし武豊はこの騎乗を最後にイナリワンのもとを離れ、故障明けから復帰したスーパークリークのもとへと帰っていったのです。
傷心のイナリワンは秋初戦の毎日王冠を、同じく公営出身の後輩オグリキャップに鼻差敗れます。俺の背中が豊だったら・・・と思ったかもしれません。
続く秋の天皇賞を6着、優勝したのはなんと、武豊鞍上のスーパークリークでした。
悔し涙のイナリワン。
ジャパンカップでは11着、スーパークリーク4着。
このレースは伝説にもなったホーリックスとオグリキャップが2分22秒2の世界レコードで駆け抜けたレースです。ここでもイナリワンは、武豊とスーパークリークのコンビに後塵を拝すのです。
そして暮れの大一番「有馬記念」
スーパークリークへの嫉妬と武豊への未練がイナリワンの闘志に火をつけます。メラメラと立ち上る炎は、まるで復讐の鬼のごとくスーパークリークへ襲い掛かります。
そして信じられないことにゴール寸前で刺したのです。差したのではなく、まさにその光景は、刺したという表現がピッタリでした。
これぞ希代の癖馬の本領発揮でした。
武豊は教えてくれます。
癖馬を馴らすのはお手の物だが、敵に回すとちょっとやっかい。
その後、武豊はなかなかG1を勝てなかった癖馬ステイゴールドを、海外のG1で勝利に導きました。香港シャンティ競馬場でロイヤルブルーのデットーリの馬をまさにゴール前刺したのでした。
そのステイゴールドの息子で凱旋門賞行ってほしかったなぁー