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武豊がシャーガーカップに招待されたね!ところでシャーガーってなによ?そんな人の為に調べたよ。

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1983年2月8日21時・・・

ニュース速報です。

覆面を被った男6人がバリーメニー牧場に侵入し、牧場長を銃で脅して、シャーガーを誘拐する事件が起こった模様です。

犯人グループから身代金として7億円を要求する電話がシンジゲートに入ったようで、事件の詳細が入り次第、続報をお伝えします。

 

 

photo credit: black.zack00 via photopin cc

武豊騎手がシャーガーカップに参戦するんだよ、楽しみだね!!

8135468390_655ff7e610_bphoto credit: Shergar and Walter Swinburn – by Roy Miller (1981) via photopin (license)

いきなりのことで、クリビツギョウテンされた方もいるかもしれませんね(笑)武豊騎手がシャーガーカップに招待されました。

大々的に報道され、「3年ぶり7回目の出場」それ、なんて甲子園!!と感じたファンも多いでしょう。

 

武豊騎手が参加するシャーガーカップとは

シャーガーカップは、イギリスのアスコット競馬場で例年8月第2週の土曜日に開催される競馬の騎手招待競走です。

シャーガーカップの名称の由来は、1981年のエプソムダービー優勝馬シャーガーに由来しています。

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シャーガーカップが開催されるアスコット競馬場

ロンドンから西へ約36マイルほど、ウィンザー城の西南にある競馬場です。

アスコット競馬場は、イギリス王室が所有する競馬場で開催中は、エレガントな装いの方々が集う、大人の社交場といったところ。

 

成り立ちは、1700年代初頭まで遡る歴史のある競馬場です。

アン女王がウィンザー城から程近い場所を馬車で移動していた際、 目の前に広がる広大な丘を発見し、「この場所こそ、競走馬が全力で走るのにふさわしい」

丘を全力で走るのがふさわしいと、ドSな発想からアスコット競馬場が建設されました。

ヨーロッパで発展してきた血統が、タフでスタミナがあるのは、こうした地形や馬場などが要因として挙げられるのでしょう。

 

シャーガーという、馬

1987年アイルランドで誕生。このシャーガーのオーナーはアーガー・ハーン4世で数々の名馬を所有した人物。

おもな活躍馬

ブラッシンググルーム、ダルシャーン、シャーラスタニ、デイラミ、センダワール、シンダー、アラムシャー、ダラカニ、ザルカヴァなどなどなどって感じ(笑)

 

アーガー・ハーン4世の特徴として、所有馬の競走馬名の由来が分からないことで知られています。このシャーガーも、名前の由来が判明していない馬。

 

順調に成長し、3歳の春を迎えたシャーガーは、4月のクラシックトライアルで10馬身、5月のチェスターヴァーズで12馬身差の着差をつけて優勝。

単勝オッズ1番人気の1.9倍でイギリスダービーへ出走を果たす。

好位からレースを進め、直線の入り口で早くも先頭。2着馬につけた着差は、ダービーステークス史上最大となる10馬身差の圧勝。

騎乗していたウォルター・スウィンバーンはレース後このようにコメント

「あんな大差が付いてるとはちっとも気づかなかったよ。」

このレースで記録したレートは、インターナショナルクラシフィケーションにおいて140ポンドとなりました。

 

ワールド・サラブレッド・ランキングと、その前身であるインターナショナル・クラシフィケーションにおいて、1977年の開始から1990年代までの評価が、その後に比べて全体に高すぎる傾向にあったというのが見直しの理由である。

引用元:競馬ブック2013年3月2・3日号p88-89

この結果、それまで141ポンドと評価されてきたダンシングブレーヴが138。140ポンドのアレッジド、シャーガーがそれぞれ134、136に引き下げられることになった。

 

この引き下げには賛否両論あるようで、シャーガー、ラムタラ、オールアロングなど数々の名馬に騎乗した経験を持つウォルター・スウィンバーン元騎手は、この見直しについて

「レーティングの変更は適切に行われているとは思えない」「彼らの考えは全く理解できない」

このようにコメントしています。

 

武豊とシャーガーの縁

競馬の歴史上もっとも高いクラスの評価を受けていたシャーガーは引退後、アーガー・ハーン4世がアイルランドで経営するバリーメニー牧場で種牡馬となりました。

シャーガー初年度の産駒は28頭で、そのうちの一頭アウザールはアイリッシュセントレジャーで優勝を果たしています。

 

アウザールは、のちに日本に輸入され、唯一の重賞勝ち馬となったのが、イブキラジョウモンです。武豊騎手が騎乗して勝利した中日スポーツ賞4歳S(G3)は伝説の好騎乗。いま思えば、シャーガーカップに招待されるにふさわしい、そして縁があるってことですね。

 

1983年2月8日21時・・・シャーガー誘拐

覆面をつけた男6人がバリーメニー牧場に侵入し、牧場長を銃で脅してシャーガーを誘拐する事件が起こった。

翌日、犯人グループから約7億円の身代金を要求する電話が入る。しかし、シンジゲート側はこれを拒否すると、以後の連絡は途絶えた。。。そして、シャーガーの行方は完全に途絶える事となる。

様々な説が飛び交うも、結局どれも決め手に欠け、事件は完全なる迷宮入り。

 

翌年、1984年アイルランド警察は、事件がアイルランド共和軍によるもので、シャーガーは誘拐後間もなく殺害された模様との見解を発表しています。

 

シャーガーへの愛着

シャーガーを失ってから8年後のエイプリルフールに、イギリスの大衆紙ザ・サンは

「シャーガーは生きていた。去勢されているが元気であり、7月のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走予定」

1面で報じられた。これ以降、毎年のように「シャーガー目撃情報」がエイプリルフールを賑わすこととなった。

競馬を愛する人に共通するであろう、「あの馬が、もし今も生きていたら・・・」この感情をくすぐるエイプリフールにプレゼントされた素敵な嘘といったところか。

 

1999年シャガーカップ設立

シャーガーを失ってから、16年後の1999年グッドウッド競馬場にてシャーガーの名を冠したシャーガーカップが創設されました。ヨーロッパおよび世界各地から騎手が招待される大イベントとして認知されるに至っています。

 

私の認識では、シャーガーカップって、「ちょっとしたイベントみたいなもんでしょ?!」このような感覚があったのですが、どうやら違うよう。

イギリス人のシャーガーへの愛着は非常に根強いものであり、シャーガーカップの位置づけは、開催を重ねるごとに高くなっているようです。

まとめ

武豊騎手は去年も招待されていたのですが、落馬負傷のため参加できませんでした。今年はここまで順調でなにより。

シャーガーカップに招待されることは名誉あることであり、からだ一つで世界中を駆け回る武豊が帰ってきた嬉しさと、週末に少しの退屈が訪れる。(8月8・9日はチョット暇しますね笑)

イギリスの地で武豊らしさを存分に発揮し、世界の舞台で見せつけ、魅せて帰ってきて欲しいです。

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