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2015年勝利数を3桁に戻した武豊のはなし【Part1発端】

22429110291_7de1036f65_b (1)2010年3月27日落馬事故。
怪我に伴い、成績が下降。

「武豊は終った」と目にし、耳にする。

その光景が心に刺さる、まるで武豊の周りを大きな台風が取り囲むよう。雨にさらされ、風が吹き荒れ、やり過ごすしかない時間が、望みやしないのにやってきた。

一方武豊は、当の本人であるにも関わらず、まるで台風の目の中にいるように穏やかにみえる。穏やかではいられないハズ。なのに、いつもと変わらず、たたずむ。

全部自分ですよ、ほんとにね。
人が離れていくのは離れていく人が悪いんじゃなくて、そういう状況を作った自分だと思っていますし、また自分で取り戻していけばいいと思ってます。

2013年WoWoW武豊特集より

どうか、この吹き荒れる嵐を乗り越え、逃げきって欲しいと願う。

2015年から振り返る、
あの落馬事故。
始まりだったんだよと。

※文中敬称略
photo credit: NASA Analyzes Record-Breaking Hurricane Patricia via photopin (license)

事の発端

2010年3月27日当日。

私は午前中に散歩をしながら買い物を済ませ、午後の競馬にスタンバイ!!エアグルーヴの仔であるルーラーシップに胸を躍らせ馬券も購入!!

少頭数のレースで馬券的に旨みもなく、つまらないが、好きな馬を頭を空っぽにして買うチャンスでもある。ルーラーシップ、ダノンシャンティ、武豊を買う。3連複1点と、3連単ルーラーシップの1着固定で、相手2頭に流す馬券を購入。

「ルーラーシップよ、俺を驚かせてみろ~!!」想像を越える走りっぷりを期待。当日は東京も天気が良く、プラズマテレビは陽が差し込むと見えにくくなる。声も出そうだからと窓を閉め、カーテンも閉めて準備万端。

4コーナーから直線へ。
ダノンシャンティが絶好の手ごたえ、
ルーラーシップも内から抜けてくるようにも見え
声も出るかと思っていたが、

あの瞬間、何も、、、出なかったなぁ。

落馬の状況から、馬が命を落とすことになる事を察知したし、武豊の状況もよろしくないのがわかる程の落馬だった。大変なことが起きてしまい、まず事実の否定「ウソだろ?」から始まり、「マジで?」なんの意味もないのだが、繰り返す。

 

事実を受け止めた瞬間、無性に知りたくなる。
まさぐるように武豊の情報を探す。

なにも情報がなく、ただただ時間が長く感じた。

命に関わる怪我ではない、との情報に触れ、ようやく馬を案ずることができた。「これじゃ、いけないよなぁ~」と思ったものの、馬にただただ感謝するのみ。

競馬観戦のために閉めたカーテンを、再び開ける時間がとうに過ぎていた事にふと気がついた19時。そんな2010年3月27日から始まった苦難の時代と、その延長線上で今なお続く武豊の戦いのはなし。

By: amira_a

呑気で陽気なオ・レ

久々に動いている武豊をみることが出来ると、武豊TVの放送を心躍らせながら待つ。「お~ユタカきた~!!お~動いて、しゃべってるぞ~!!」。当たり前に思っていた事が、なんだかとても嬉しい(笑)。

上がらない肩を思うと痛々しかったが、久々に動いている武豊をみることができ満足。無事ならそれで良し(無事ではないのだが)。当時、のちに長いトンネルが待ち構えているとはつゆ知らず武豊TVを楽しんだ、なんとも間が抜けている。

あの年、久々に楽しみなクラシックが待ち構えていて、ヴィクトワールピサという有望な馬がお手馬だった。武豊は、ダービーには間に合うだろうというのが、当初の空気。

ところが間に合わず。
エイシンフラッシュがダービーを制覇して武豊TVに内田博幸がゲストとして登場する。まだ武豊の肩があがっていない、むしろ痛そうにしている、おかしい。

夏の小倉で復帰、
意外に早かったことに驚きと戸惑い。

今だから、思うことがある。
復帰の時期が早かったのではないだろうか?
急がば回れ?だったのでは、と。

しかし、復帰が早かったとして、
それにより歯車が狂い始めていたとして、
誰があれだけ馬に乗ることが好きな武豊を止めることが出来たのだろう。

今だから言える、あの怪我のちに大きな爪痕を残すことになると。
その時、知るよしもなく、ただただ武豊が復帰したことに乾杯をしたんだっけなぁ。

photo credit: Abstract via photopin (license)

そこはかとなくから確信へ

復帰後しばらくして、そこはかとなく感じる違和感。
環境の変化についてである。
落馬した2010年は仕方なしにしても、翌2011年さらに苦しくなる。

1月2勝のみ。
「たまたまだろ、そんな時もある!!」相変わらず呑気なオ・レ~である。しかし、確信に変わる時がそう長くはかからなかった。

6月が終了しても23勝。
以前なら乗れているハズの馬に乗れない。

確信する、環境の変化。
ファンとしてようやく事の重大さに気がつく。

2012年、さらに勝利数を減らす。
そこはかとなく遠のく、厩舎、馬主たち。

2012年
武豊は、未来シアターという番組に出演した際、このように語っている。

全然、納得していないし、諦めてもいないし、今までの自分を薄くしてしまうような気がする。自分に対して「駄目だ!!」。

現状を憂いて、過去の栄光まで薄れていくような感覚。
身を削られていくような感覚だったのだろうか。
そのような感覚を武豊が抱いている、このことを知った時、あることを考えた。

 

By: ume-y

ものは見方によって変化する模様

現状を知り受け入れることで、これまでみえていた世界と違ったものがみえてくる事がある。武豊の言葉、自分に対して「駄目だ!!」。現状を受け入れ認識しているからこそである。

私はこの現状に追従することと決める。
「リーディング上位厩舎から依頼がこない、、、そんな事を嘆くくらいなら、だったら今、依頼がきている厩舎を武豊の力でリーディング上位に持っていけばいい」。ふとそんな考えが頭をよぎる。

色々と調べ始めたときである、ある厩舎の変化にハッとする。厩舎に入っている馬の血統のレベルが高い。さらに翌年に委託される予定の馬も調べてみる。すると今後飛躍が期待できる厩舎からすでに武豊に依頼がきていた。

馬主側からの視点でアプローチしてみる。
すると同様にポジティブなシグナルが発せられているようにもみえてきた。

新たな可能性、、、
いや、その可能性というものは、
新たなものでもなく、元から存在していたものである。

しかし、羨むばかりの当時の私にはみえていなかった事に気がつく。その可能性救いとなるプレゼントであった。

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photo credit: Nomadic Lass via photopin cc

苦難の時期に予期せぬ贈り物

厳しく、苦しい時期にファンとして得たものは大きなものだった。

毎年200勝ほどしていた時代は、3歳未勝利戦を注目していなかったし、新馬勝ちをしたとしても、着差や内容がイマイチだと、それほど嬉しくも感じなかった。「お~ユタカ勝ったんだぁ~よかったな」。たんなる1勝に過ぎなかった。

しかし、今は、競馬がますます楽しくなってきた。
武豊を中心として観ていた競馬が、よりユタカなものとなった。

それは、3歳未勝利戦でも勝てば、その厩舎との繋がりを考えたり、馬主さんの所有馬を調べてみたり。この未勝利戦の勝利が、武豊にとって、いつか大きな仕事に繋がるかもなぁ~なんて。

また、武豊が騎乗していないレースでも、この厩舎には頑張ってもらわないといけない!!なんて。お節介だが、考え、応援したりする。

これらは年間200勝していた時とは違った競馬の楽しみ方だが、、、苦しい時期を乗り越え、得られた予期せぬ副産物であり、贈り物だったと解釈している。

失ったものを大きく捉えて悲しむよりも、今、手にしているもの、手の中にあるものに感謝すべきだと切に思う。そしてこれから手にする事ができるかもしれない、そんな不確実なものに想いをめぐらせ期待していきたい。

 

2015年冬、来春に思いを馳せる

嵐が過ぎ去ったかのように見える。
乗り越えたのだろうか、やり過ごしたのだろうか。

長く厳しい冬を乗り越えると、うららかな春がやってくる。
四季においては当たり前だが、騎手の世界では当たり前ではなく、とても難しい。

やけに2歳馬が賑やかで、春を意識せずにはいられない、そんな2015年の冬である。それもこれも現在に至るまで、武豊の折れない心があったからこそだろう。それもまたファンにとっての希望だったことに違いない。

2015年11月29日京都8Rキングノヨアケに騎乗し勝利。この勝利が2015年のちょうど100勝目となった。6年ぶりの3ケタ勝利への復帰おめでとう。

 

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